いつくしみ屋の旅 伊豆〜屋久島
「いつくしみ屋」は、2004年6月21日夏至の日に富士山の麓朝霧高原で行われた、世界中から少数民族のシャーマンが集い世界の平和のために祈りを捧げるイベント「WPPD」に参加途中、みちとももが出会ったところから始まりました。
この日、台風が直撃で強風、豪雨のなか3000人以上の人々が手をつなぎ平和を祈りました。
結婚後、人と自然が調和して生きる、をコンセプトに、2005年伊豆半島の白浜でオーガニックカフェ「いつくしみ屋」を立ち上げ。
旧ブログ いつくしみ屋 good news
2009年ごろ
古い家をセルフリノベーションし、石窯を造り、ピザやオーガニックな創作料理を提供。
拾ってきた石、伊豆石、粘土で造った石窯
初めて焼いた石窯のパン
様々なアーティストが訪れ、投げ銭ライブ。
ホズ、カズ、なお、ななおと
天草
ラビラビ
当時まだ日本ではこんなお店は珍しく、提供していた食事が評価され、様々なメディアに紹介していただきました。
[メディア取材、掲載]
*月刊誌「田舎暮らしの本」9月号(宝島社)
「田舎暮らしの本」に掲載!: いつくしみ屋 good news
*ムック本「レンガワーク入門」(出版社地球丸)
レンガワーク入門に掲載!: いつくしみ屋 good news
*テレビ番組「a life」(東海テレビ)取材
他情報誌、書籍、など多数
既存の社会システムの枠内で生きるのではなく、自分たちの望んだ生きたい世界、ヴィジョンそのものを創造する、生きること、人生そのものがアートであり循環する「生活芸術」をかかげて、伊豆の自然豊かな山のなかで実験し続けてきました。
物作り、薪生活、セルフビルド、ボディーワーク、小さな無農薬の畑、自然食、ライブミュージック、アフリカンドラム、、、。
気付くと現代社会の生活に疲れてしまった人々が訪れる保健室のようなお店になっていました。
ももがカウンセリングの依頼をお客さんから受けるようになったのはこのころから。
人の数よりけものたちのほうが多いような山の中で自然と対話して暮らしていると、次第に自らの霊性と向き合わざるをえなくなります。
パートナーシップ、訪れるお客さん、静かな森の中の生活を通して様々な気付きがあり、次のヴィジョンへと導かれて行きました。
2010年にカフェをクローズし、より広い場所でパーマカルチャー、エココミュニティー的な事をしてみたくなり河津町の綺麗な川のほとりへ引っ越し。
集まった仲間たち数家族とコミュニティーリビングを実験開始。
ウーフの受け入れなどしていました。
しかし、巨大風車の建設や、メガソーラーの建設によりそこでの活動を断念。
その後、西アフリカギニア、ニュージーランド、淡路島、北海道、南インド、タイ、ラオス、などの旅へ。
旅先ではもちろん沢山の友人、先生との出会いがあり、沢山の聖地を訪れ、シャーマニズム、霊媒、祭り、音楽、土着の民間療法、ヒーリング、代替医療など体験。意識が拡大していきました。
2015年、直感のみを頼りに屋久島に移住。
屋久島に来てすぐ、それまでの人生で経験した事、学んだ事の全てが崩壊し、
ひっくり帰るようなスピリチュアルな出来事を体験。
もう一度初心に帰り、2017年現在、いつくしみ屋屋久島を創り続けています。
www.itsukushimiya.portfoliobox.net
いつくしみ屋の旅は続く!
操体法 セルフケアワークショップ
気法持ちの良い方へ体を動かして、簡単に体の歪みを改善し、楽々と心身の不快感を解消する操体法を身に付けませんか?
気持ちの良い方へ
痛い、苦しいなどの不快感を解消するには、気持ちが良いと感じる方へ体を動かせばいい。
体は普段から自然にのびをしたりあくびをしたり調整してくれているけど、それを意識的にやる。
体が歪んでいると偏って滞っているところがあり、そこがのびたりちぢんだりして気持ちがいいと感じる方へ動かしてしばし「タメる」。
一呼吸して息を吐きながら力を解放する。
解放したのあとの「間」に調整が働く。
何回かやるとバランスが戻る。
力を入れて動いた時の気持ち良さは「肉体レベル」の気持ち良さ。
はじめ力んで力が抜けない時とか、体が硬い時、心が騒がしい時にはここから。
心が静かになってきて、静かな呼吸とともに極々軽い力でゆっくりと動くと「エネルギーレベル」の気持ち良さがあるのに気付く。
エネルギーの気持ち良さはとても微細だけど奥深いところから発生する感動の波のような、光のような。
心身により深い効果がある。
うまく全体のバランスが整うとスッと一本軸が
通ったような感じになり、足がしっかり地球につく。
呼吸がゆっくり楽で、リラックスした集中状態。
アタマがすっきりして体が軽い。
封印
過去の未消化の感情やトラウマが体の奥深いところに残っていることがある。
私の例だと、若いころ、歩いていたら突然10メートル先ぐらいの目の前に飛び降り自殺の人が落ちてくる、という事件があった。
あまりにびっくりし過ぎてすぎてその場で身動きがとれず、立ちすくんでいた。
その日は食事も出来ないくらい落ち込んだが、自分がどんな気持ちなのかよく分からなかった。
その後はなるべくそんなことはなかったかのように過ごしていて、そのことは忘れたつもりでいた。
10年ほどたって操体法の修行時代。
家で一人で体の動きをしていて、背中の右上奥あたりになかなか取れない痛みがあり、どうにかそれが取れるように体を動かして、やっとその部分が解放された瞬間、その事件の記憶が突然鮮明に蘇ってきた。
その時の、自分が何も出来ないでいる不甲斐なさや、恐ろしさや、いろいろ入り混じった感情が流れ出していった。
当時恐ろしくて、
ショック過ぎて向き合えず、感じ切ることができなかった感情を、体の奥深くに封印してあった。
封印が解けてその時のことを再体験したが、そのあととても軽くなった。
ニュージーランドのorganic river fesで出会った若いドイツ人のデイヴィッドは、操体法に興味があり、腰が痛いというので、横になって腰周辺の動きを誘導していくつか行ったら、突然泣き出した。
「う〜〜っ」とか言って涙をボロボロ流し出したので、どうしたのか聞くと、「ただの古い記憶が〜〜っ」と言葉にならず。
こっちも一瞬動揺したが、中心に戻って見守ることにした。
感情解放が起きてることが分かり、しばらく見守った後一人にしても大丈夫とわかりその場を去った。
1時間くらい泣いていたらしい。
何の記憶が思い出されたのか細かいことは聞かなかったが、大解放だったようで、その後私のことを「father」呼ぶようになった。
呼吸
呼吸。
呼は吐く、吸は吸うなので、まず吐くのが先。
全部吐ききれば吸は自然に入ってくる。
日常では忘れているけど、体の自然が自律的にやってくれている。
呼吸法は普段無意識でやっているこの呼吸をあえて積極的に意識してやってみる。
いろいろな呼吸法があるけれど、操体法では腹式深呼吸を行っている。
口を細くして笛を吹くように、細く長くゆっくり息をお腹をへこませながら吐いていく。
お腹の底から全て息を吐き切る為に、おしりを少し持ち上げ、肛門を締めるようにする。
もうこれ以上吐けない、ところまで吐いたら一気に止めておしりを床に落とす。とスーッとお腹に息が入っていく。
体が歪んでいてどこか痛かったり、症状がある人は、息を吐いている段階で体のどこかが痛かったり、苦しい感じがあるかもしれない。
始めたばかりだとお腹の中に固さがあり、息を思うように吐けないかもしれない。
息を吐けなければ当然少ししか入ってこない。
ただ、毎晩10回ずつ続けていると、お腹の固さが少しずつ柔らかくなってきて、息を吐いた時の痛みも軽くなってくる。
呼と吸の割合が2対1(例、10秒で吐いて5秒で吸う)ぐらいで行うと良く、ずっと続けていけば細く長く吐けるようになってくる。
(例、30秒で吐いて、15秒で吸う)
そうなってくるともう習慣になっているので努力は必要ないし、むしろ呼吸をしているだけで気持ちが良くて止められなくなってくる。
そこまでいくと日常生活でもふとした時に呼吸法の成果が現れてくるのに気づく。
心が落ち着く、物事に根気良く集中できる、あまりあせらなくなる、血流が良くなり体温が上がるので免疫力があがる、お腹に力がはいる、体の重心であるお腹に力が入っているので何をするにも動作が安定してくる、、、。などなど。
いいことしかありません!
とここまでが初級編。
呼吸法の奥深さ、内面への旅の始まり。
気持ち良さ、心地よさ
操体法には、どこか痛いとか苦しいとか症状を抱えている本人が、特にその部位(それ以外の部位でも)を、気持ち良く感じるように動かすと、痛み苦しみが軽くなりまたは解消され原因であった歪みも元に戻る、というシンプルで奥深い原理がある。
命は気持ちが良い、心地が良い事が大好き。
現代の私たちの日常では洗脳されていたり、頭で考えた事に囚われていて野生の勘みたいなものが麻痺してることもあり、素直に「気持ち良さ」に従えなかったり、社会からは頑張って努力することを強いられたりするので、命が縮む感じがする。
犬や猫、動物たちは自然に近いので、自分の命が求めるままに、寝てて起きると、「ん〜〜〜〜っ」と伸びやあくびをして体の調整を自分自身で極々当たり前にやってる。
人間ももっと見習ったほうがいい。
「心地よさ」にもレベルがあって、また奥深い。
体が伸びたり縮んだりして気持ちが良い「肉体レベル」の心地よさ。
割と強い力で体を動かすと感じ易い。
心が静まって、極軽い力(筋力をほとんど使わない)で体を動かした時、内側に感じる微細な「心地よさの兆し」のようなもの。
「エネルギーレベル」の心地よさ。
何にかに感動した時に背筋に鳥肌が立つような。
「兆し」を感じて追いかけていくとどんどん増幅して体が自然に動き出したりする。
「ラティハン」。
体の中で波紋が広がり、滞っていたエネルギーが流れ出し優雅な舞のような、美しい動きとして昇華する。
法則性があったりなかったり。
動いている本人は多分あまりの心地よさに時間も忘れている。
自分の命との対話。
実はとてもとても貴重で大事な時間だと思う。